社会学は幅広いと思いますが、専門分野について教えてください。
社会学のなかでも、医療社会学という医療やケアに特化した領域のことを専門としています。もともとは、終末期医療や緩和ケア、看護労働や病院組織、医療におけるコミュニケーションなどを研究していました。そして、現在では、海外のインクルーシブ教育や発達障害の人々に対するケアについて国際比較研究を行うなど、教育・医療・福祉を総合的に考える研究をしています。
社会学とは何でしょう?
簡単に言うと、人間と人間の関係性が織りなす総体としての<社会>について研究する学問です。
社会学をご専門にされた理由は?
大学の学部生のころは教育学、特に教育哲学を学んでいたのですが、勉強していくうちに、哲学的に考えることは自分の頭のなかで考えるということにとどまってしまっているのではないか、と考えるようになりました。
ちょうどそのように思い始めていた頃、教育社会学者として知られる苅谷剛彦先生が、さまざまなメディアの力を活用しながら、いわゆる「ゆとり教育」に対する批判的な議論を展開され、それがきっかけのひとつとなり、文科省が政策を方向転換し、社会を変える動きがつくられていました。このような出来事を通して、社会学には「社会を変える力がある!」と、社会学のポテンシャルを感じたことが、社会学を専門とする大きな契機となりました。
その当時専攻していた教育哲学、あるいは哲学のような思考はすごく楽しかったのですが、それだけでは「何かが足りない」とも感じていました。そのような「足りなさ」を埋めてくれたのが社会に関するデータを収集して、それをエビデンスとして提示する、という社会学のやり方だったのです。社会学には現在の社会状況を把握するための実践的な方法論が蓄積されている、というのが研究分野として選んだ理由の一つです。
教えている授業について
具体的にどんな授業なのでしょうか?
リテラシー原論や社会包摂論、コミュニケーションデザインを扱うガバナンス演習、アイデンティティ・文化・ジェンダーの諸問題について考える基礎ゼミナール・専門ゼミナールなどの授業を担当しています。授業科目名を聞いただけだと「難しそう」と思われるかもしれませんが、根本にあるのは、人と人がどのようにして、安心して一緒に平和に暮らしていけるか、人の生き方や社会のあり方について考えていくことです。
例えば、ジェンダー学でいうと、なぜ女性に生まれると、「こういう座り方をしてはいけない」あるいは「こういう服装は望ましくない」と言われたりするのか?あるいは、そのような、ある人にとって不愉快な言葉をなぜ社会では「当たり前」のように言ったり/言われたり、許容してしまったりするのか?など、社会的な慣習や常識、ルールについて考えます。さらに、今まで「普通」で「当たり前」と考えてきた自分のなかの価値観や考え方を現在の社会状況や自分の住む社会とは別の社会と照らし合わせて見つめ直したりします。こういったことを考えるためにデータを集めて分析し、思考実験をしてみたりすることが好きな学生には面白い学問だと思います。
1年生と2年生以降では授業はどのように変わるのでしょう?
1年次は英語に関する科目が圧倒的に多いですが、私が担当する1年生向けの授業で言うならば、物事をまずは認識・把握し、分類して考えるための、思考の基盤となるモノの見方を学ぶ「リテラシー原論」や「世界理解の方法」などの講義科目が多いです。
2年生以降の学生向けでは、より専門的な科目が増えるとともに、20名程度の少人数で行われる専門的な演習科目が増えていきます。例えば、「アカデミックライティング」という「書くこと」に特化した演習や「コミュニケーションデザイン」というグループワークやワークショップを通して社会課題を発見し、解決していくノウハウを身につけていく演習科目など様々です。
学科や学生について
国際教養学科の特徴は?
メディア学やジェンダー学、国際関係学など、「多角的」に現代社会のことを見ていこうとするだけでなく、学んで得られた知見を社会活動や様々な実践のなかで応用していこうという側面が強いことは国際教養学科の大きな特徴だと思います。また、アカデミックスキルズから始まり、基礎ゼミナール、専門ゼミナールへと進んでいくという、4年間ずっと専任の教員がサポートするきめ細やかな仕組みがありますが、これは非常に贅沢な仕組みだと思います。
竹内先生の授業を受講する学生に共通点はありますか?
社会や自分自身に対する何らかの「違和感」を持っていて、それに対してもっと考えたいと思っている人が多い印象ですね。例えば自分自身と家族との関係についてであったり。それが原点となり、研究のテーマにつながるケースもよくありますね。
学生の卒論テーマなどで印象に残っているものは?
「在日外国人」のアイデンティティ問題をテーマにした卒論は印象的でした。ブラジルと日本のどちらにも属さず、その両者の間で揺れているアイデンティティについての問題は、特に愛知県では重要な社会的課題のひとつです。その学生自身が「日系ブラジル人」として生きてきており、自分自身も経験し、これまで不思議に思っていたアイデンティティの揺らぎについてインタビュー調査をしていました。その学生がオーストラリアへ留学した時にはオーストラリア先住民の問題も現地で学んできており、テーマを多角的に深掘りしていました。自身の体験と留学中に学んだことの集大成として卒論を執筆し、大変充実した内容でした。
国際教養学科で学ぶ意義
学科の教育の方針で、英語を使って「どう語るかではなく、何を語るか、そして、何をするか」とありますが、どういう意味なのでしょうか?
語学力といっても単に流ちょうにしゃべれるようにすれば良いわけではないのが難しいところです。英語を流ちょうに話せることと、鋭い思考力の伴う豊かな語学力を実際に使いこなせることは必ずしもイコールではないんですね。多くの学生にとって、思考の大元にあるのは日本語なので、日本語での思考能力を鍛えることで、英語力も併せて伸びてくるという側面もあります。
また、私の専門である社会学も他の学問と同様に、圧倒的多数の研究は海外で行われているものであり、最新の論文や情報も英語で公表されるので、社会学を学ぶためにも英語力は必要不可欠です。語学力というと、最近はスピーキングをはじめとするコミュニケーションの能力に注目しがちです。しかし研究に欠かせない論文や記事などを元言語である英語で読んで理解する読解力などインプットするための英語力、そして自分自身の考えを日本語だけでなく英語でも考える思考力、こういった力が専門的な学問を学ぶうえでは非常に重要になってきます。
多様性がより注目されるようになったいま、本学科で学ぶ良い点は?
グローバリゼーションが進む社会の中で英語力は必須だと思います。英語が分かるというだけで、知ることができる世界は大きく広がり、人生においても有益な知恵を得ることができます。人生を豊かにしてくれる強力なツールと言えます。なので英語を苦手と感じている人であっても、ぜひ英語を勉強してもらいたいと思います。名古屋外大は大きな大学ではないからこそ、教員や学生同士の距離も近く、とてもアットホームな環境で学べるのは魅力的です。英語は実際に使ってみなければ上達しないので、教員との関係性が近いのは語学力の向上の観点からも、大切なことだと思います。
進路や研究テーマについて
竹内先生はどんな高校生でしたか?
高校の頃は数学と英語が得意で、現在教えている人文社会系に属するような国語や社会は実は苦手でした。部活は柔道部と書道部を掛け持ちしながら、塾にも通っていました。当時はユーロビートやハウスミュージックが流行っていて、音楽がとても好きで、学校と塾の後、夜になるとバンド活動をやっていました。休日には、20キロもあるキーボードを抱えて、実家の福井から隣の石川県まで遠征に行ったりする忙しい高校生活を送っていました。
留学経験は?
大学に入学後、どこかで留学したいと思いつつも、なかなか留学するチャンスがなかったですね。今振り返ると、もっと自由に挑戦できたらよかったな、と思うこともあります。一方で、大学教員になってからは研究で海外へ行く機会が増えました。
進路についてどのように決めたか教えてください。
高校生の頃から人に悩みごとを相談をされることが多かったので、自然と心理学に興味を持つようになりました。人の困りごとに向き合う仕事につきたいと思っていたので、心理学を専攻しようと思っていました。その当時、社会的にも大きな注目を集めていた臨床心理士を目指そうと考え、資格を取れる大学院を持つ大学を探して進路を決めました。
大学で心理学から教育学へ専攻をシフトしたのはなぜでしょうか?
大学在学中の専攻振り分けの際に、心理学ではなく教育学を選ぶことになりました。もともと専攻しようと思っていた心理学では自分の考えたいことを本当に考えられるのか疑問を感じたからです。それに対して、より物事の深みを考えることができそうだと思うことができた教育学に興味をもつようになりました。
例えば「学ぶ」ということはどういうことなのか、「学校」とはどのような場所なのか、あるいは道徳は教えられるのかといった問題を研究したりします。教育という営みの源流を考えると、そこには後世「産婆術」(引き出す)と言われるソクラテスによる教育方法があったり、教育学を意味するペダゴジー(pedagogy)という言葉は「子どもを導く」という意味だったり。このような様々な言葉や思想、実践の積み重ねで今の「教育」というものが形作られてきた、ということを考えることはすごくエキサイティングなことで面白いなと思いました。
大学院では社会学のなにをテーマに研究されたのでしょうか?
大学院ではケアをテーマにし、医療専門職が患者とどのようなコミュニケーションを行っているのか、医師や看護師などの医療専門職が作り出す<病院>という医療組織の特徴はどういうものなのかなどの研究を行ってきました。大学教員になってからは障害のある人々の社会的包摂(=インクルージョン)に関する国際比較研究で、アメリカ、スウェーデン、ドイツ、オーストラリア、イギリス、中国などの国々で調査研究をする機会にも恵まれました。
さいごに
国際教養学科への入学を検討している方々にメッセージを!
重要なのは「悩むこと」です。もっと悩んでいいんだよ、ということを伝えたいです。悩んで考えることは自分自身と向き合うことであり、それはとても良いことだと思いますね。それに、悩んで考えて、答えを出し、たまには失敗したりもしながら前に進んでいく、というのはなかなか大変なことだとは思いますが、そういうことを通して人は自分に自信をもっていくのだと思います。悩むことをネガティブに捉えず、国際教養学科で同じような仲間と一緒に悩み、一緒に前に進んでいきましょう。