研究・専門分野について教えてください
専門分野は哲学です。私はドイツの哲学者ライプニッツ(1646-1716)の哲学についての研究で博士号をとりましたが、他の哲学者についてももちろん興味があり、古代ギリシアの哲学者ソクラテスについての本も書きました。
また、哲学だけでなく、世の中の思想全般に興味があります。宗教学や倫理学に関する論文も書いており、妖怪の存在意義を問う論文(宗教学)や、「トロッコ問題」を小中学校の道徳科の授業で使うのはやめたほうがいいという論文(倫理学)などがあります。
最近は「この世の中に悪があるのはなぜか」という問題に取り組んでいます。ユダヤ・キリスト教の世界においては「なぜ神がいるのに悪があるのか」という問いがこれまで繰り返し問われてきました。神は全知全能で善意しか持たないはずなのに、善人が不幸に遭い、悪人が栄えるような世界を創造したのはおかしいように思います。この問題に答えようとする試みを神義論といい、私がいま取り組んでいる最新の研究テーマです。
研究分野に興味を持ったきっかけや理由はなんですか?
私が大学に入学したのは24歳の時です。もともとは大学に行くつもりは全くなかったので、高校を卒業してからはいわゆる放浪をしていました。いろいろな場所に行き、いろいろな文化に触れたことがきっかけで、文化人類学を学びたいと思うようになり、大学に行こうと決めました。
自分でいろいろ調べていくうちに、文化人類学で一番すごいのはレヴィ=ストロースという人で、彼は文化人類学に取り組む前に哲学を研究していたということがわかりました。そこで私は文化人類学と哲学を学べる学部に入ったのですが、授業を受けているうちに、私の問題意識に対して最も相応しい答えを与えてくれるのは哲学であるということがわかり、それ以来哲学を専攻しています。
研究分野に関連するおすすめの作品や書籍を教えてください
哲学に関心があるけどどのように学べばよいかわからないという人は、まずは私の『ネム船長の哲学航海記① ソクラテスからの質問』(名古屋外国語大学出版会、2022)を読んで欲しいと思います。高校1年生でも読めるように書いた本です。もう少し本格的な哲学研究に触れたい人には『ライプニッツの創世記』(慶應義塾大学出版会、2017)をオススメします。
キリスト教について関心がある人には、私の神義論研究論文「安らぐ神から苦しむ神へ」(『名古屋外国語大学論集』vol.10、2022)を読んでいただきたいですが、少し難しいかもしれないので、ザ・ブルーハーツ(日本のロックバンド)とイエス・キリストを関係させて論じた「ザ・ブルーハーツと福音」(『Artes MUNDI』vol.6、 2021)がオススメです。これらはいずれもインターネット上で読むことができます。
上述の専門分野のところで少し紹介した妖怪研究に関心がある人には、妖怪の存在意義についての論文「新しい民俗学のための妖怪弁神論」(『フィルカル』vol. 6、2019)がオススメです。いろいろな妖怪研究についての紹介も兼ねている論文ですので、こういう研究もあるのか!という発見があると思います。
国際教養学科で教えている授業についてお聞かせください
「自己再構築論」という科目では、東洋と西洋の哲学者たちを扱う授業を行なっています。科目のテーマは「『ありのまま』で本当にいいのか?」です。「ありのまま」というワードはみなさんもわりとよく耳にすると思います。たいていは「ありのままのあなたでいいんだよ」や「ありのままに生きていきたい」や「ありのままの私を見て欲しい」といった表現として語られ、「ありのまま」というワードはプラスの意味で使われているように思います。しかし、本当に「ありのまま」でいいのでしょうか。
哲学の歴史をひもとけば、哲学者たちが遥か大昔から「ありのまま」でいいかどうかを議論し続けているともいえます。「自己再構築論」では、「ありのまま」でいいかどうかという問題に引き付けながら、東洋と西洋の大哲学者たちの考え方を学ぶことができます。
担当ゼミの学生の特徴を教えてください
私のゼミでは、前年度に書いたレポートの検討会をゼミ生全員で行ないますが、ときどき私自身が書いた論文も検討会の中でゼミ生みんなに検討してもらっています。嬉しいことに、ゼミ生たちはかなり多くの批判的な意見を言ってくれます。哲学は常識を徹底的に疑う学問ですから(デカルトは「2+3=5」でさえ疑いましたし、カントは「1+1=2」を納得するのに10年かかりました)、哲学を学ぶ以上は「どんな権威からも自由であれ!」と普段から強く言っているので、ゼミの教員である私の書いたものへの批判は、ゼミ生たちが権威から自由になって批判的に物事を考えることができている証拠であるといえます。
国際教養学科への入学を検討している方々にメッセージを!
あなたはなぜ国際教養学科で学びたいのですか?
ところで、人間は自分が知っているものも知らないものも、いずれも学ぶことはできません。というのも、まず、知っているものを学ぶことはないはずで、それは、知っている以上はもはや学ぶ必要はないからです。また、知らないものを学ぶこともないはずです。知らないのであれば、何を学んだらよいのかそもそも知るはずもないのですから。
さて、改めて問います。あなたはなぜ国際教養学科で学びたいのですか?ちょっと気持ちの悪い感触を持ったと思います。ぜひ国際教養学科に入って、私のこの議論に対する答えを自分なりに見つけて欲しいと思います。