スーパーアドバンストPBLプログラム『PBL Literacy』
常に挑戦する「オンサイト」型の国際教養教育
ジャーナリストとのコラボレーションによる「リテラシー」能力の開発

発信力を高める文章講座

川上泰徳

「発信力を高める文章講座」は、情報を発信する人材を育てようとする試みです。学生たちに「私の記憶に残った体験」という文章を書かせます。私は学生たちが自分の文章を完成させるために、メールのやりとりを通して、文章の問題点を指摘し、注文をつけ、学生自身が修正していきます。2017年の前期で集中講義として行い、さらに後期の授業では、オンライン授業として実施しました。学生たちは作文を完成させるまで、8回から10回の修正を重ねます。この冊子では、学生一人一人の最終稿と、第1稿を掲載しています。第1稿についての私が学生に実際に送った講評も掲載しています。第1稿と完成稿を比較すれば、この文章講座が目指しているものは自ずと見えてくるでしょう。

 

■「記憶に残った体験」を再現する

 

文章講座と言えば、講師による「添削講座」だと思うかもしれませんが、私は学生の文章の添削はしません。冊子にある学生たちの文章の最終稿でも学生が拙い言葉遣いや表現はいたるところにありますが、私が学生たちの文章に対して問題点を指摘し、注文をつけるのは、筆者の体験の中身が文章として、読者である私に伝わるかどうかです。学生が書いていることに中身がないなら、文章の表現や言葉遣いだけを添削しても意味がないのです。

学生たちは自分の体験について、自身が選んだ題材で文章を書きますから、文章を完成させる責任は100%、学生の側にあります。私は読者として、学生たちが書いた「私の記憶に残った体験」を読んで、学生がどのような体験をしたか分からなければ、「あなたの体験は文章から伝わりません」とダメ出しをし、どの部分が伝わらないか注文をつけます。

学生たちは「記憶に残った体験」という課題を与えられていますが、第1稿として提出される作文で、体験の中身を伝えようとする文章はほぼ皆無です。これは名古屋外国語大学の学生だからということではありません。私は東京の大学でも同様の文章講座を持っていますが、ほとんどすべての学生が体験そのものを文章化しようとはせず、自分の体験について概説的に説明し、体験についての感想や意味を書こうとします。しかし、体験そのものが文章化されていないので、概説や感想を書いても、読者には伝わるものではありません。

例えば、学生が外国留学について書いても、生の体験として書かれていないため、その国に留学して共通のする体験をした人間は自分の体験から状況を想像できます。しかし、その国に留学や滞在の経験がない読者にとっては、単に知らない場所の説明があるということに過ぎず、体験としては像を結ばないことになります。

私の注文は、「あなたが驚いた場面を文章で再現しなさい」「会話のやりとりを記述しなさい」「(登場人物は)男性ですか、女性ですか、何歳ぐらいの人ですか、どのような外見ですか、服装ですか、どのような物腰や話し方をする人ですか」など、徹底して体験のディテールにこだわります。学生自身の体験ですから、場面を再現できるのも、ディテールを肉付けできるのも本人しかいません。学生たちに突き付けられた課題は「自身の体験を文章で再現する」ということに尽きます。

体験が再現できているかどうかを判断するのは、読者である講師の私です。読者として「あなたが体験したことがまだよくわからない」と言っている限り、学生の文章は完成しません。私は具体的にどのように書けとか、文章を直したりはしませんから、学生たちは、どうすれば自分の文章を私に伝えることができるか試行錯誤することになります。それは文章の書き方を考えるだけではなく、学生は文章の元になっている自身の体験の現場に立ち返り、それを追体験することによってはじめて自身の体験の再現が可能になるのです。

受講生の中に前期の集中講義を受講した学生が数人いて、冊子にも掲載されています。例えば「弟の職業体験から考える賃金格差」の文章のように、第1稿から、自身の体験を具体的に再現しようとしています。後期に初めて講座を受ける学生の第1稿とは文章は異なります。再受講の学生には、自分の個人的な体験を書くだけではなく、社会的なテーマと関連付けて書くように指導します。課題のレベルを上げるわけです。

さらに段階が進めば、より効果的に発信するために、文章の構成や巧みな表現が求められるようになります。今回の冊子ではまだその段階にはいってないということです。この文章講座は、表現や構成を問題にする文章添削講座のように文章の体裁を整える技術を指導するのではなく、文章の中身を問題にするのです。この場合の「文章の中身」とは体験ということになりますが、体験の中身を文章に詰めることができるのは受講生本人ですから、一つの体験を書きあげるのに、受講生自身が第8稿、第9稿と修正を重ねる訳です。

文章の修正は学生一人一人とメールで個別に行われますが、週一回の授業に代わる「一斉メール」で、毎回、文章作上のテーマを解説するメールを送ります。その時に、前の週に学生全員が私に送って来た修正稿と、それに対する私の注文を集めて、全員に送ります。

メールによる文書への講評は個別ですが、文章の問題点は、ほとんどすべての学生の文章に共通するものです。私は文章に対してかなり手厳しい指摘をします。学生たちは私から他の学生に出された講評のメールを見ることで、文章にダメ出しをされているのは自分だけではないことを知って安心するようです。さらに他の学生が指摘されている文章の問題点や具体的な修正を見ることで、自分自身が文章を書く上での、支えともなるでしょう。

 

■「締め」で体験の意味を考える

 

学生たちはこの文章講座で自身の作文を修正して完成させます。その過程で「体験を伝える」という文章の書き方があることを体得します。学生たちは自分の体験について、概説的な説明と感想をまとめるような文章から脱却して、自分の体験を他者に伝わるように文章化しようという意識が生まれるはずです。

この文章講座で「自身の体験を再現する」ことは重要な柱ですが、もう一つの柱は「体験の意味をくみとる」ということです。自身の体験について描写的に文章にできたとしても、その体験が筆者にとってどのような意味を持つのかを、文章の最後で「締め」をつけなければなりません。

「締め」で、自身の体験をどのように意味づけるかは筆者である学生に任されますが、学生は体験をもとに自分の考え方を打ち出さねばなりません。私が学生たちに体験がどのような意味を持つか、踏み込んで考えるように求めます。学生たちは「締め」をどうするかでかなり苦労したはずです。締めについては、最後に3コマの集中講義をしました。
「締め」でよくあるパターンは、それまでに書いてきたことを要約して、「将来に役立てたい」というような前向の言葉でまとめるものですが、もちろん却下です。さらに体験では具体的な記述をしていたのに、最後にいきなり一般論に浮き上がってしまう「締め」もありますが、これもいただけません。体験として書いてきたこととは全く離れて話題を変えて「締め」をつけることも説得力がありません。

「締め」で重要なことは、体験として記述してきたことについて、どのような意味があるのかを、その体験に沿って、体験に踏み込む形で考えるということです。学生たちは自分の体験と結びつけて自分の見方を深め、自分の見方として提示することに慣れていません。この冊子に収められている最終稿で、満足できる締めになっているものはほとんどありません。半期の文章講座では、締めまではいかないというのが実際のところでしょう。それでも、体験を文章化するために体験のディテールにこだわって再現することと、その体験に踏み込んでその意味を考え、自身の見方を提示することは、同時進行で行われなければならないと考えます。

 

■メディアをめぐる時代の変化

 

私が「体験」の文章化にこわだわるのは、30年以上新聞社で記者として働いてきて、ジャーナリストとしての仕事の最も重要な部分が、人間の経験を文章として伝えることだったからです。新聞であれ、テレビであれ、人間の体験を記述したり、映像化したりする情報があふれています。人間にとって、自身、または他者の体験こそが、最大の関心事です。さらに人間は、個別の体験を記述し、伝達しあうことで、時間、空間を超えて、経験を蓄積し、共有することができます。個人の間の体験の発信・受信・共有はコミュニケーションの重要な要素です。

学生たちが自身の体験を、他者(読者)が共有できるように具体的な描写や記述で文章化する方法を身に着けるならば、その方法は、他者との体験の共有という情報発信の役割を担うことができます。文章講座の成果としての出来上がった学生たちの文章を読んでいると、体験の描写を通して学生たちの個性や感性が生き生きと現れてくるのが分かります。学生たち自身が自分の体験に意味と価値を見いだすことにつながり、自分の経験から始まって、他者の経験のありようにも注意と関心を向ける契機ともなるでしょう。経験の文章化を通して、学生たちには大きな可能性があると改めて思います。

私は3年前に新聞社を退社し、1年の半分を専門である中東に滞在して、ジャーナリストとして取材し、発信しています。ジャーナリスト活動と同時並行して、このような講座を大学で実施しようと考えるのは、メディアをめぐる時代の変化を意識するためです。
人間の経験を文章化する作業は、新聞やテレビ、雑誌などメディア産業によって行われ、人間情報を発信する人材(ジャーナリスト)を訓練し、育ててきました。国内であれ、国外であれ、政治であれ、スポーツであれ、紛争であれ、災害であれ、遠くで起こっているニュースを身近に感じさせるのは、そこにいる人間の体験と結びつけたヒューマンな情報伝達です。客観的なデータだけでなく、そこに生きる人間の生活や顔が見えるように肉付けして情報を発信するというのは、ジャーナリズムに関わる人間にとっては、基本中の基本です。

ところが、メディアをめぐる状況は、インターネットの普及によって大きく変貌しました。特にこの10年ほどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の広がりによって、情報発信はメディア産業の独占ではなくなり、いまや、個人も企業も、組織も、みな情報発信の主体となっています。情報発信はメディアで働くジャーナリストが担うだけでなく、個人であっても、組織や企業の一員としても、社会に向けて情報を発信することを求められる時代となっています。これまでジャーナリストが担っていた人間経験を伝達する情報発信は、ジャーナリズムを超えた個人や社会の課題とならねばなりません。

 

■情報発信の技術と意識を育てる

 

<発信力を高める文章講座>は、新しく開かれた情報発信型社会に対応する人材を育てるために、情報発信に必要な技術と意識を育てる試みです。それは自分自身や自分の周りにある人間的な経験を、未知の読者に対して発信するものでなければなりません。ところが、学生たちの最初の原稿が、体験を再現するものではなく、概説的に説明して、それに対する感想や印象を中心に書くのは、発信者としての文章ではなく、誰もが小学生の時に書いた経験がある「読書感想文」のように、課題図書のような共通の理解の上にたって、自身の感想や印象を書くという<受信者=読者>としての文章と言えるでしょう。大学受験での記述式、論文式の試験のために訓練される文章も、既知の知識について自分が正しく理解していることを証明するための文章であり、これも情報の受信者としての文章です。

<よき受信者=よき読者>であることは情報を理解するためには極めて重要ですが、受信者として情報を発信しても、同様の情報や理解を共有する仲間内だけで通じる内向きの情報発信にしかなりません。政府機関も、企業もNGOも、インターネットのホームページで社会に向けて情報発信する形になっていても、それぞれのサイトに収められた情報発信や文章の多くは、部内の人間しか理解できないような文章や情報であり、内向きの情報発信です。そのようになってしまうのは、情報発信者として現実に向き合う意識が欠如し、さらに、情報として発信するスキルもないためでしょう。

誰であれ、自ら情報発信の起点となって、自分の体験を外部に向けて発信しようとすれば、生の現実に向き合って、現実を<一から構成して>発信することが求められます。それは新聞、テレビ、出版というジャーナリズム企業が長年、独占的に保有してきた情報発信のノウハウです。この文章講座では、情報発信者としてのスキルと意識を大学教育の場で、学生に開放し、トレーニングすることを目指すものです。市民社会における情報発信の担い手となりうる人材を、大学で育てなければならない、と考えます。

この講座は、講師が学生ごとに文章の問題点を指摘し、学生は自ら答えを探るものですから、同じ学生が2年目、3年目と受講することで、自分の文章のレベルを上げることができます。発信する文章のレベルが上がれば、文章の中身もより複雑になるため、問題に対する深い理解や必要となる表現でも高いレベルが求められ、<よき受信者=よき読者>としての知的な蓄積の必要性を感じるはずです。発信することを通じて、勉強したり、本を読んだりという知的な作業につながるはずです。逆に、専門的な蓄積があるにも関わらず、社会に向けた発信するノウハウを身に着けていないのは、社会にとっても、個人にとっても大きな損失です。その意味で、私は、<発信力を高める文章講座>は、情報発信時代に身に着けるべきリベラルアーツと位置付けています。

 発信力を高める文章講座


1.情報発信者を養成する文章講座の取り組み(川上泰徳)
2.学生の作品
 2-1.言葉のないコミュニケーションから学んだこと
 2-2.諦めないこと
 2-3.「伝える」コミュニケーション
 2-4.オーストラリアでの失敗から得た教訓
 2-5.弟の職業体験から考える賃金格差
 2-6.私が感じた情報格差
 2-7.楽しい世界の造り方
 2-8.「二度の受験を乗り越えて」
 2-9.傷ついて知ったこと
 2-10.旅から学んだこと
 2-11.ホストマザーとのコミュニケーション
 2-12.セックスワーカーの女性たち
 2-13.取材を通して学んだこと
 2-14.日本とインドネシアの架け橋
 2-15.「コミュニケーションが与えるもの」
 2-16.百崎先生との大学受験
 2-17.国境を越えるコスプレ文化との出会い
3.参加者の声
4.取り組みの狙い(佐藤都喜子学科長)