スーパーアドバンストPBLプログラム『PBL Literacy』
常に挑戦する「オンサイト」型の国際教養教育
ジャーナリストとのコラボレーションによる「リテラシー」能力の開発

発信力を高める文章講座

2.学生の作品


現代国際学部 国際教養学科 川本なつみ

「二度の受験を乗り越えて」 【第11稿】

中学校を卒業してから数週間後、私は第一志望として受験した公立高校を訪れた。中庭の掲示板に合格者の受験番号が張り出されている。そこで自分の受験番号を探すが、見つからない。何度も掲示板を見返しているうちに、涙がこぼれてきた。私はすべり止めとして受けた私立高校に通わなければならなくなったのだ。
家に帰り母の顔を見ると、ますます涙があふれ出た。母は私を抱き寄せ、静かに泣いた。母の泣いている姿を見たのは初めてだった。父に結果を伝えると、笑って「何とかなる」と言った。ずっと泣き止まない私に、父は「大丈夫」と何度も声をかけた。私はもう、合格するかわからないレベルの学校は受験しないと決めた。両親に金銭的に、また精神的に迷惑をかけてしまう辛さを二度と味わいたくなかったのだ。大学受験では、塾に通う費用や受験料を抑えることができる、附属大学を受験しようと考えた。
しかし、その二年後、私は受験勉強を始めることになる。両親に「受験したい」と話すと、「本気なのか」と冗談に受け取られてしまったが、それでも私は勉強を続けた。学校の授業では使用しない分厚い単語帳を持ち歩き、電車の中で繰り返し単語を覚えた。また放課後は毎日図書館に通った。高校三年生の春、両親が「過去問はいつ買うの」と聞いてきた。心の奥では「また両親に迷惑をかけているのではないか」とずっと感じていたため、ほっとした。
二学期が始まった頃、教室で勉強をしていると、グラウンドから文化祭に向けてダンスの練習をする同級生のはしゃぎ声が聞こえてきた。振りを教え合っている姿を少し眺めた後、私は鞄からイヤホンを取り出し、英語のリスニング問題に取り組んだ。
受験に再び挑戦することになったのは、ある先輩との出会いがきっかけだった。それは高校二年生の秋のことだ。担任の先生が進路選択の参考にと、ある女性を連れて教室に入ってきた。彼女は私が通っていた高校の卒業生で、名古屋外国語大学に進学していた。「先生との距離が近い授業ばかり」、「外大のサークルは他の大学と違ってみんな真剣」と、先輩は自身の大学生活を笑顔でそう語った。最後には「行きたかった外大に行けて本当によかった」と話した。そんな先輩の姿を見て、通いたい学校に通うために受験するのだと改めて気づかされた。私はその先輩に憧れを抱き、先輩が通う大学に興味を持った。受験が恐ろしいと感じていた自分に、再び受験への熱意が込み上げた。
文化祭が終わった数週間後、私の家に合格通知が届いた。「入学許可」の文字を見て、体がじわじわと熱くなった。一緒にいた母が、目を潤ませながら「本当によく頑張ったね」と言った。「ありがとう」と私は母の目を見てそう伝え、その後父にも結果を知らせようと電話をかけた。「う、受かってた!外大に!」と伝えると、「おめでとう!!」という大きな声が返ってきた。
先輩との出会いがきっかけとなり、私は受験勉強に励むようになった。そしてトラウマだった受験を乗り越えることができた。自分の可能性は、自分が思うよりもずっと広い。自分を信じて行動すれば、前に進むことができるのだ。

【第1稿】

 私は高校受験に失敗した。志望校に落ちたと分かった瞬間、自然と涙がこぼれた。私は努力が報われなかった悲しみよりも、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。家に帰り母の顔を見ると、ますます涙があふれ出てきた。母は私を抱き寄せ、静かに泣いた。母の泣いている姿を見るのは初めてだった。父に結果を伝えると、笑って「何とかなる」と言った。父はずっと泣き止まない私を心配し、励まし、声をかけ続けてくれた。ひどく落ち込んで表情が暗い母と、私を気遣い明るく振る舞う父を見て、不合格という重圧に押し潰されそうになった。人生のどん底に落ちたような気分だった。
同じことを繰り返さないために、もう思い切った受験はしないと決めた。努力をして頑張ったにも関わらず、両親に迷惑をかけてしまう辛さを二度と味わいたくなかったのだ。受験が怖いとさえ感じていた。そんな時、私はある先輩と出会った。先輩は大学生活を楽しそうに語り、自信に満ち溢れていた。「この大学に通うことができて良かった」と心から思っているようだった。そんな先輩の姿を見て、通いたい学校に通うために受験するのだと改めて気づかされた。私はその先輩に憧れを抱き、先輩が通う大学に興味を持った。調べ続け、オープンキャンパスに参加した頃には、私の中で「受験に挑戦したい」という思いが強く込み上げていた。
受験が恐ろしいと感じていた自分に、再び受験への熱意が生じた。両親はあまり乗り気ではなかったが、それでも私は受験に挑戦したかった。受験を決めてからは、自分でも驚くほど熱心に勉強に取り組んだ。一度失敗し、落ちる怖さを知っていたからなのかもしれない。そんな私の姿を見て、両親は次第に応援してくれるようになった。心の奥では両親の思いが気にかかっていたため、ずっと感じていた重圧から開放された気がした。合格することだけを考えて、私は無我夢中で頑張り続けた。
些細なきっかけで、強い意志が生まれる。強い意志は、人の考えや行動を変える。私は二度の受験を経験して、自分が恐怖に感じる物事さえも、きっかけと意思があれば克服できると知った。自分が想像もしなかった姿になる可能性は十分にあるのだ。この先、自分にとって苦しく辛い出来事が訪れたとしても、私は簡単に逃げない。そこで終わりではないと信じて、前に進み続けたい。

【第1稿への講評】

 <志望校に落ちたと分かった瞬間、自然と涙がこぼれた。>は場面としてイメージできません。場所はどこですか? 志望校に合格発表を見に行って、名前または受験番号がなかった、ということでしょうか。いまはインターネットで結果を流すところもあるようですから、発表の時間にスマホで学校のサイトを開いて、名前または受験番号がなかったということかもしれませんが。
 <私は努力が報われなかった悲しみよりも、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。>というのは、気持ちの説明ですが、あなたの気持ちばかりが先走っていて読者に通じません。
 <ひどく落ち込んで表情が暗い母と、私を気遣い明るく振る舞う父>は<表情が暗い><明るくふるまう>は具体的な行動や言葉を記述しているわけではなく、あなたが二人の言動を見て感じたことを表現しようとする形容詞的な表現なので、読者にはイメージできません。具体的に二人の言動を記述すれば、読者にも母親が落ち込んでいることも、父親は気を使って明るくふるまっていることが分かるでしょう。
 第二の要素の大学受験を決心する下りですが、 <私はある先輩と出会った。先輩は大学生活を楽しそうに語り、>というのは、先輩が何を楽しそうに語ったか、先輩の言葉として書くことができるでしょう。さらに、あなたの気持ちを変えた先輩は、男性ですか、女性ですか。先輩と言っても色々とありますが、高校の先輩ですか、クラブの先輩ですか。<先輩が通う大学>というのは、名古屋外国語大学のことですか? すべてが具体的でないので、パントマイムを見ているようです。分かるように書かないと、伝わりません。

※この文章が扱っているのは、高校受験の失敗したトラウマを乗りこえて、大学受験に向かい合格するまでの話だが、最初の文章では、その時々の気持ちや思いを書いているが、体験そのものが再現されていないため、気持ちばかりが先走った文章になって伝わらない。一つ一つの体験を場面が見えるように文章化することで、筆者の体験は読者にも伝わることになる。

 発信力を高める文章講座


1.情報発信者を養成する文章講座の取り組み(川上泰徳)
2.学生の作品
 2-1.言葉のないコミュニケーションから学んだこと
 2-2.諦めないこと
 2-3.「伝える」コミュニケーション
 2-4.オーストラリアでの失敗から得た教訓
 2-5.弟の職業体験から考える賃金格差
 2-6.私が感じた情報格差
 2-7.楽しい世界の造り方
 2-8.「二度の受験を乗り越えて」
 2-9.傷ついて知ったこと
 2-10.旅から学んだこと
 2-11.ホストマザーとのコミュニケーション
 2-12.セックスワーカーの女性たち
 2-13.取材を通して学んだこと
 2-14.日本とインドネシアの架け橋
 2-15.「コミュニケーションが与えるもの」
 2-16.百崎先生との大学受験
 2-17.国境を越えるコスプレ文化との出会い
3.参加者の声
4.取り組みの狙い(佐藤都喜子学科長)