スーパーアドバンストPBLプログラム『PBL Literacy』
常に挑戦する「オンサイト」型の国際教養教育
ジャーナリストとのコラボレーションによる「リテラシー」能力の開発

発信力を高める文章講座

2.学生の作品


現代現代国際学部 国際教養学科 前田依李南

■諦めないこと 【第9稿

吹奏楽の全国高校大会の当日、3000人を収容する会場は、空席が目立たなくなっていた。咳や紙が擦れる僅かな音さえも響く緊張感に包まれている。私は55人のコンクールメンバー(大会出場者)の一人として、舞台袖に2列で並んで出番を待った。「演奏するの楽しみ!」「ワクワクする!」私たちは、3か月半練習した曲を披露できることに緊張感をも楽しさに変わっていた。

 

私は、中高共に全国大会常連校の吹奏楽部で、トランペットを担当していた。部員数が100名以上在籍し、人数制限が設けられるコンクール(大会)には、オーディション(校内審査)に合格した者しか出場出来なかった。中学校3年生の時、私はオーディションに落ちた。“絶対コンクールメンバーになって、全国大会に出場する”この目標のため、高校も強豪校への進学を決めた。そして高校3年生になった私は、トランペットのコンクールメンバーに選ばれた8人の中に居た。

 

全国大会を1週間後に控え、焦りを感じながらもどうすれば良い音楽になるのかと考えていた。重たい空気に包まれたトランペット部屋は、「カチ、カチ、カチ」と、メトロノームの音だけが響いていた。「1つ1つハーモニー(和音)を合わせていくしかないよね」リーダーが言った。「やっぱそうだよね」他の7人も重い腰を上げた。

 

トランペットは、高音・中音・低音と3つに分かれていて、その3パートで異なる音の和音を合わせるには、30分以上かかることもざらではなかった。迫力と綺麗なハーモニーを必要とするその箇所には、音が12個あり、地道で気が遠くなるような練習なのだ。

 

「あっ!合った!」どんよりとしていた空気が一気に明るくなり、私達の顔にも自然と笑みがこぼれた。今まで飛距離が短かったボールが、急にポーンと遠くへ飛ばせるようになったかのように、音が遠くへと飛んでいく感覚に皆がなった。ハーモニーが交じり合ったとき、大きい音を出そうと思わなくても部屋中に豊かな音が響き渡ったのだ。

 

吹奏楽が私の中心だった6年間。高校3年生になるまでは、コンクールメンバーになるために練習していた。しかし、トランペットが上達していくにつれ表現の出来る幅が広がり、音楽を奏でる事の楽しさを知った。人の気持ちを変えられる力を持つ音楽を届けることができ、人を笑顔にすることが出来る。そして、その音楽を、異なる個性の人達でつきつめるほど一人一人が生かされ、音楽に表情をつけることが出来る。それはコンクールメンバーに入るという高い目標を実現する中で初めて出会うことができたのである。

【第1稿】

世界で1番の幸せ者になったことがある。こんなことを言ったら笑われるかも知れないが、心の底から感じていた。そして、この瞬間を体験するために6年の間、頑張ってきたものがあった。コツコツと諦めずに積み重ねをしてきたからこそ、何か輝かしい功績を残したとか、財力を手にしたとか大きなものではなく、平凡な生活でも世界1の幸せ者と感じる経験が出来たのだと思う。

 

私は、中学校と高校で吹奏楽部に所属していた。私の属していた吹奏楽部は、中高共に100名を超える部員数で、全国大会の常連校だった。吹奏楽の全国大会に出場する確率は、文化部と運動部の違いはあるが、甲子園に出場出来る確率よりも低いと言われているほど、狭き門であった。そして、私は、その全国大会に出場することを目標に、練習漬けの6年間を過ごしたのであった。

 

しかし大会では、中学校50名、高校55名と人数制限が設けられているため、オーディションでメンバーが決められていた。皆が皆、全国大会を目指すことが出来なかったのである。中学校3年生の時、私はコンクールメンバーになることが出来なかった。メンバーが発表されたときの日を今でも鮮明に覚えている。絶望とはこういう事だと思いながら、自然と涙が溢れてくるのだ。自分の情けなさと同時に、悔しさが涙として出てきた。

 

吹奏楽を辞めようと思った瞬間でもあったが、全国大会に向けて練習する仲間そして何より、全国大会に出場し演奏する皆をみて、私も全国大会に出るまで諦めないと、決心した。高校も吹奏楽の強豪校に進学し、中学校の時よりも厳しい環境の中で、全国大会に出場するという夢を持ち続け練習に励んだ。

 

そして、高校3年生、6年越しの夢が叶った。コンクールメンバーになれたのだ。コンクールメンバーになり、全国大会に駒を進めることも出来た。その練習をしている時間に私は、世界1幸せ者だと、感じていた時間だった。

 

中学校時代、努力は報われる訳ではないという経験も乗り越え、コツコツと諦めなければ、不可能ないという事を学んだ。そして、結果が全てではない。とよく言うが、それも本当だった。全国大会に出場し、金賞を受賞したが、その結果よりも全国大会までの練習、コンクールメンバーになるための練習の方が私の人生の糧となっていた。

【第1稿への講評】

あなたは自分の体験について感想を書いてますが、体験の中身については何も書いていません。そもそも、あなたが使っていた楽器はなんですか。どんな練習をしたのですか。あなたは吹奏楽の何が好きなのですか? この文章を読んで、単にコンサートメンバーに選ばれるという功名心だけを追っている人かなと思われるかもしれません。楽器が何かも、その楽器を演奏することの楽しさも、吹奏楽でみんなで演奏する感動も、何も書かれていません。吹奏楽をする人ならば、そんなことを書かなくても、分かるでしょうが、仲間だけ分かる文章ではなく、自身の体験を他者に向けて伝える文章です。
冒頭に<世界で1番の幸せ者になったことがある。>と書いて、<コンクールメンバーになれたのだ。>と、その意味が明かさるまで、その間に680字の説明があります。吹奏楽によほど興味のない人間以外は、途中で投げだすと思います。
途中で<中学校3年生の時、私はコンクールメンバーになることが出来なかった。メンバーが発表されたときの日を今でも鮮明に覚えている。>と書いていますが、メンバーが発表された場面については書かれていません。メンバーがどのように発表されたかを書くことで、あなたが悔しかった体験を、よりリアルに伝えることができるでしょう。さらに<コンクールメンバーになれた>瞬間についても、場面が分かるようにかいたよいでしょう。さらに、そのような場面が、絶望や喜びとして伝わるためには、あなたと楽器や音楽と関わる練習の場面などをしっかり再現しなければならないでしょう。
根本的な修正が必要です。

※この作文の第1稿は<自分の体験の感想を書いているが、体験の中身については何も書いていない>と指摘されているが、これはすべての学生の作文に共通する傾向である。本学だけでなく、いまの大学生の典型的な文章であり、多分、いまの日本人の典型的な文章だと言ってもいいだろう。自分の体験を説明し、その時の自身の感想を「世界一の幸せ者」「絶望とはこういうものか」「情けない」など書いているが、体験そのものは文章として再現されていないため、読者は文章を読んでも、筆者の体験を共有することができない。
自分の体験を文章として伝えるということは、自身の体験の場に戻って、自ら追体験する作業が必要であり、この受講生は、練習の場面で、ハーモニーが合った時の感動を思い出して、それを文章に再現している。この部分は、体験した人間しか書けない文章であり、それは文章として読む価値がある。そのような文章化の過程で、吹奏楽の全国大会のメンバーに選ばれたことの「幸せ」とは、<トランペットが上達していくにつれ表現の出来る幅が広がり、音楽を奏でる事の楽しさを知った。>と書いている。第1稿にあった<世界一の幸せ者>というような表現は消え、その代わりに、その幸せの体験を再現することで、中身のある文章になっている。

 発信力を高める文章講座


1.情報発信者を養成する文章講座の取り組み(川上泰徳)
2.学生の作品
 2-1.言葉のないコミュニケーションから学んだこと
 2-2.諦めないこと
 2-3.「伝える」コミュニケーション
 2-4.オーストラリアでの失敗から得た教訓
 2-5.弟の職業体験から考える賃金格差
 2-6.私が感じた情報格差
 2-7.楽しい世界の造り方
 2-8.「二度の受験を乗り越えて」
 2-9.傷ついて知ったこと
 2-10.旅から学んだこと
 2-11.ホストマザーとのコミュニケーション
 2-12.セックスワーカーの女性たち
 2-13.取材を通して学んだこと
 2-14.日本とインドネシアの架け橋
 2-15.「コミュニケーションが与えるもの」
 2-16.百崎先生との大学受験
 2-17.国境を越えるコスプレ文化との出会い
3.参加者の声
4.取り組みの狙い(佐藤都喜子学科長)