スーパーアドバンストPBLプログラム『PBL Literacy』
常に挑戦する「オンサイト」型の国際教養教育
ジャーナリストとのコラボレーションによる「リテラシー」能力の開発

発信力を高める文章講座

2.学生の作品


現代国際学部 国際教養学科 藤根涼

日本とインドネシアの架け橋 【第11稿】

私は中学の三年間、父の仕事に同行し、インドネシアに住んでいた。私が通っていた日本人学校では現地校との交流があった。最初に私たちが現地校を訪れた時、交流できるか不安だった。現地校の生徒は男女とも白色のブラウスに緑色のパンツという制服姿で、女子生徒の何人かはベールを頭に巻いていた。私はインドネシア語で「スラマッパギ(おはよう)」と覚えてきた挨拶をするのが精一杯だった。
インドネシアは国民の9割がイスラム教徒である。イスラム教徒の女性は肌や髪を見せてはいけないことからジルバブという髪と首を覆うベールを頭に巻いていた。現地校との交流は、現地校を訪ねるだけでなく、現地の中学生を日本人学校に招くこともあったし、町のスーパーマーケットにみんなで出掛けたこともあった。
スーパーマーケットでは両校合わせて百人以上が五人ごとのチームに分かれた。先生が英単語を言い、その最後の文字から始まる商品を一緒に探して、その写真も撮るゲームをした。スーパーには日本では高価なマンゴーやドラゴンフルーツが並んでいた。「これは日本で高いから食べる機会が少ないよ」と私が言うと、「インドネシアでは安く手に入るから日本に帰るまでにいっぱい食べるといいよ」と言ってくれた。
日本人学校の交流では、私は同じグループになったインドネシア人の生徒に「スラマッパギを日本語で何と言うか知っている?」と尋ねた。しかし皆「知らない」と答えた。私たちは2人が床に寝て、別の一人が体を揺らして「おはよう」という寸劇をした。朝、親が2人の子供を起こしているという設定だ。通学途中にすれ違った近所の人に「おはようございます」と挨拶をする場面も再現した。現地校の生徒たちは私たちの寸劇をみて「バグース(すばらしい)」と言って拍手をしてくれた。
インドネシア人の生徒にも「おはようございます」と発音してもらった。私たちが言って、それを復唱してもらう。ところが、インドネシア人の生徒は「おはようごぜいます」と返した。彼らは「ザ」と「ゼ」の区別が苦手なようだ。私が「『ゼ』じゃなくて『ザ』だよ」と教えて、もう一度言ってもらった。なかなか直らなくて苦戦した。日本人が英語の「R(アール)」と「L(エル)」の発音の区別が苦手なのと同じなのだろう。インドネシア人のある生徒は「日本語って難しいね。でも練習をして日本語を話せるようになりたい」と言って何度も声に出して練習をしていた。
お昼ご飯はバイキング形式で一緒に食べた。インドネシア料理の定番の焼きそばの「ミーゴレン」や焼き飯の「ナシゴレン」をはじめ、エビフライや卵焼きといった料理が並んでいた。見た目は日本の焼きそばや炒飯とは変わりないが、味は唐辛子辛いのが特徴である。私は「美味しそう」と声を発した。私の前に順番待ちをしていた現地校の女の子も「美味しそうだね。いっぱい食べよう」と言ってお皿いっぱいに料理を取っていた。そしてグループごとに座って食べ始めた。
食事中にはインドネシア料理の話題で盛り上がった。「インドネシア料理の中で何が好き?」と聞かれたので「シンコンチップスが好き」と答えた。シンコンとは芋の木とも言われているキャッサバの根茎の部分のことを指す。インドネシアではこの部分を切って揚げて調理をする。まるで見た目も味もポテトチップスに似ているためおやつとしてよく食べられている。私の答えに、「それは料理というよりおやつでしょ」とツッコミをされ、みんなが笑った。
「日本のこと好き?」 交流が終わりに近づくころ、私は同じグループのインドネシア人の生徒に聞いてみた。すると「好きだよ。もっと日本のことを知りたい」という返事だった。彼らはテレビで日本のアニメがいくつかやっているのを観て好きになったそうだ。交流するうちに、最初に感じた不安はなくなっていた。お別れのときに私は「テリマカシ(ありがとう)」と言って笑顔で手を振った。彼らも「テリマカシ」と返した後に今度は日本語で「ありがとう」と言ってくれた。交流で教えた言葉を早速使ってくれたうれしさに私は思わず涙が溢れそうになった。
異文化交流とは新たに興味を掻き立てるものだ。現地の生徒と会話をして自分が知らなかったインドネシア事情を知った時の面白さと、日本語を教えて理解してくれたときのみんなの笑顔を見てさらに楽しく感じたのだろう。この交流でコミュニケーションの大切さを改めて実感した。彼らと話すことがなかったらお互いが警戒し合って何も分かり合えないまま終わっていただろう。それを想像すると勇気を出してコミュニケーションをとることが異文化交流では大切なことだと思う。

【第1稿】

 私がこれまで生きてきた二十年間で最も印象深い出来事は中学時代である。私は父の仕事の都合でインドネシアに三年間滞在していた。出国前は友達と離れて暮らすことを熱泣く思い、行くことをためらった。しかし実際に生活をしてみると日本では経験することができないことばかりで新鮮であった。特に印象に残っているのは日本人学校での体験とインドネシアでの生活ぶりである。そこで今回はこの二つに焦点を当てて述べたい。
 まずは現地校との交流についてだ。私は中学時代日本人学校に通っていた。授業内容はさほど日本の中学校とは変わりないが、現地校との交流には力を入れていた。お互いの学校を訪問したり一緒に学外へ出かけて写真を撮ったり日本語を教えたりした。何度も交流をすることで仲良くなれたのはもちろん、お互いのプライベートや文化を教え合うこともでき良い交流をすることができた。これを機に日本に関心を寄せてもらえたらうれしい。
 二つ目はインドネシアの文化や生活を実際に肌で感じることができたことだ。特に物乞いの人たちには心を打たれた。あまり日本では見たことがなかったため、道路のあちこちに物乞いの人たちがいる光景に驚いた。さらにそのなかには大人に混じって小さな小学生ぐらいの子どもまでいたことに驚愕した。ただ当時中学生だった私は行動範囲も限られていたために彼らに対して何もすることができなかったのが今でも心残りである。
 これらを踏まえて私は今後日本とインドネシア間で良い関係を築いていく過程で何らかの形で携わりたいと考えている。たとえば物乞いの人たちに対しては直接取材して彼らの意見を聞き生活の援助をすることやお互いの国に興味を持ってもらうためにまずは日本の文化を発信することなどだ。そして後に日本とインドネシアの架け橋役の重要人物だと言われるような存在になることができたなら幸いである。
 では将来に向けて残りの学生生活ですべきことは何だろうか。まずは勉強をしっかりすることである。英語やインドネシア語はもちろん、世界と関わる上で世界情勢や日本の文化などの知識を大学では深く広く学びたい。さらにボランティア等のイベントに積極的に参加して主体性やコミュニケーション能力を磨くことも大切である。これらのスキルを身につけこれまでの経験が将来に役立てるようまずは学生生活で土台を作り上げたい。

【第1稿への講評】

興味深い体験ですが、言葉で説明しているだけなので、あなたの体験として伝わりません。
あなたの体験は①現地校との交流、②物乞いの人々、特に子供たちを目にしたこと――という2点ですね。どちらも、あなたの体験の場面が出ていません。1000字で書くには、それぞれ大きすぎる題材でもあります。全くことなる体験なので、どちらかに絞って、書き込むというのも方法です。例えば、<①現地校との交流>を書き込んで、日本とインドネシアの教育や文化の違いを実感するという異文化体験の話にするという方法もあります。もし、物乞いやストリートチルドレンの題材で、あなたが場面として残っている体験があれば、その体験の場面を書くこともできるでしょう。あなたの記憶に残る体験がなければ、それを書いても理屈ばかりになり、説得力をもちません。
いまの文章では、ほとんど<中身のない説明>になっているので、説明ではなく体験を記述することです。
<中身のない説明>というのは、例えば第1段落に含まれている意味のある情報は、<私は中学時代に仕事の仕事の都合でインドネシアに三年間滞在した。>というだけです。インドネシアに3年間滞在すれば、日本と異なるインドネシアの生活を体験するのは書かなくて分かることですから。あとは必要ない文です。

※この文章も、体験を描くという課題に対して、自分の体験を概括的に説明しただけで、<インドネシアの文化や生活を実際に肌で感じることができた>などと意味づけしているが、文章には筆者のインドネシアでの体験の中身が文章になっていないので、読者には何を肌で感じたかなど、全く伝わらない。修正稿では、出来る限り、体験の中身を文章化するように注文をつけた。最終稿では、かなり体験の中身が詰まってきた。このような文章の傾向は、すべての学生に共通することであり、このような文章では、あなたの体験は文章として伝わらない、ということを指摘して、学生自らが自分の体験を文章化するための手探りをすることで、発信者としての意識は育ってくる

 発信力を高める文章講座


1.情報発信者を養成する文章講座の取り組み(川上泰徳)
2.学生の作品
 2-1.言葉のないコミュニケーションから学んだこと
 2-2.諦めないこと
 2-3.「伝える」コミュニケーション
 2-4.オーストラリアでの失敗から得た教訓
 2-5.弟の職業体験から考える賃金格差
 2-6.私が感じた情報格差
 2-7.楽しい世界の造り方
 2-8.「二度の受験を乗り越えて」
 2-9.傷ついて知ったこと
 2-10.旅から学んだこと
 2-11.ホストマザーとのコミュニケーション
 2-12.セックスワーカーの女性たち
 2-13.取材を通して学んだこと
 2-14.日本とインドネシアの架け橋
 2-15.「コミュニケーションが与えるもの」
 2-16.百崎先生との大学受験
 2-17.国境を越えるコスプレ文化との出会い
3.参加者の声
4.取り組みの狙い(佐藤都喜子学科長)