スーパーアドバンストPBLプログラム『PBL Literacy』
常に挑戦する「オンサイト」型の国際教養教育
ジャーナリストとのコラボレーションによる「リテラシー」能力の開発

発信力を高める文章講座

2.学生の作品


現代国際学部 国際教養学科 吉川花音

タイの子供達との「アルプス一万尺」 【第11稿】

 私は夏の研修でタイ北部チェンライに位置する孤児院に5日間訪問した。校庭の脇にいた私たちを、少し離れた所から見ていたおかっぱの小学5年生の女の子達が5、6人、照れ臭そうに立っている。私が彼女たちの目を見てニコッと微笑むと少しずつ私の側まで歩いてきた。私は両手を広げてまた笑う。一人の女の子が私の胸に飛び込んできて、私は彼女を抱き上げた。
 
夏のタイ研修は2週間に及び、一週目には国連機関やNGOを訪問し、二週目には学生のみで現地の孤児院を訪問した。私が訪問した孤児院はタイ北部の農村地域にあり、キリスト教徒であるラーワンさんが慈善活動から始めた孤児院だ。子供達は3ヶ月から高校生まで約200人が生活をする。この施設は1階建の長屋で、少し尿の匂いがこもる子供達の寝床と授業を行う教室が隣り合わせであった。
 
子供達はお昼休みに手遊びをしていた。手遊びと言えば「アルプス一万尺」。初めに私と、一緒に来た学生で「アルプス一万尺」を彼女たちの前で一通りやって見せた。すると一人の女の子が、「私もできる!」という表情で私の前に立ち、両手のひらを出した。私が両手を顔の前で合わせると、彼女も急いで両手を顔の前で合わせる。続けて「アールプースー一万尺―」と私がゆっくりと歌う曲に合わせて、手を重ねる。
 
「小槍のうーえで」の「うーえで」の部分は二拍づつのポージングになるが、その部分は彼女にとって難しいようで、ワンテンポ早くなったり、遅れたりするのだが、私の手の動きをしっかりと見つめ、何とか合わせようと必死だ。彼女の動きが合っていると、「そうそう」「その調子」と伝わるように、私は目を大きく開き深く頷いた。
 
彼女が私とずれた手の動きをすると、彼女は唇を噛み、表情は悔しさに溢れていた。それでもまた、「アールプースー一万尺―」とはじめから戻り、手を重ね合う。私はタイ語が挨拶程度しか分からず、彼女達も日本語が分からなかったが、曲のメロディと身振り手振り、表情で伝えた。
 
なんとか一曲終えると、すぐに「もう一回!」と目を輝かせながら、また私の前に立ち両手を見せる。続けて5回ほど繰り返した。彼女はだんだんとスムーズに手を動かすことができるようになり、早いスピードで曲に合わせてできるようになった。曲の最後の「ラーンラン」という所は、「ヘイ!」と言って、ハイタッチをするという私と彼女だけのアレンジまで出来上がった。
 
気づくと周りには10人ほどの女の子たちが集まっていた。私と一人の子が手遊びをしている横では、子供たち同士がペアを組み、見よう見まねで手遊びをしていた。その姿は無邪気そのままだった。しかし、手遊びの最中に見た彼女たちの腕は細く、所々ひどく掻きむしった後や、かさぶたが見られた。
 
女の子と遊んでいると小学4年生の男の子4人ほどがやって来て、「一緒走ろうよ」と言っているかのような駆けっこのポーズを見せて私に伝えた。私はグーサインを出して運動場へ向かう。
 
運動場の真ん中から、端まで50メートルほどだろうか。小柄な坊主頭の一人の男の子が実際に走って「ここから、ここまで走って競争ね」と私と周りの子供たちに教えた。8人ほどの子供たちと私はスタートラインに立ち、先ほどの男の子の「ゴー」と言う掛け声で全員ゴールに向かって走り出した。
 
彼らは、勢い良く運動場の土を蹴るように、裸足で駆けて行った。走り終わった彼らの表情は、生き生きとしていた。しかし、俊敏に走る彼らの足は細く、「皆小学生の男の子にしては、小柄なのではないだろうか」そう感じた。
 
その後何回かけっこをしただろうか。走り疲れた私は腰に手を当て、眉を寄せ少し苦しい表情をしていた。すると先ほどの坊主頭の男の子は、私の腕を優しく掴み、「こっち」と微笑んだ。彼につられ、共にかけっこをしていた子供たちもみんなで移動をし、運動場の奥にある円形のベンチに案内され、彼は、私に優しく微笑んだ。その姿は、「座って休みな」と言っているように見えた。
 
その後は、ベンチに腰掛けながら、目の前のテーブルで腕相撲をしたり、子供たちが考えたマジックを見せてもらったり、時間の限り子供たちと触れ合った。子供たちの言葉は理解できなかったが、表情や行動、気持ちで、2日目より3日目、3日目より4日目と少しずつ距離が縮まったように感じた。
 
純粋な笑顔で元気良く遊ぶ子供達と生活をする中で、幾つか気づいたことがあった。子供達が使用するトイレでは水が張った桶から水を何度かすくい、流すのだが、トイレと浴室は同じ場所にあるため、トイレで流す水と同じものを、体を洗う際にも使用する。食事は三食あるが、少しの野菜が入ったチャーハンが出ることが多く、食事のメニューは栄養が取れているものとは言い難い。また、約200人の子供達の寝室は、男女別の2部屋で、一人一人の布団は用意されておらず、雑魚寝状態であった。
 
施設の所長であるラーワンさんから話を伺うと、子供たちの教育レベルは、教師不足の面からタイの公立の学校の授業レベルに達しておらず、中学校や高校へ進学する年齢になっても学力が追いつかないため、施設のクラスで小学生と一緒に学んでいる子も少なくないそうだ。
 
ラーワンさんとのお話の中で、「子供たちにはこれからの道を選択する権利がある」という言葉を聞いた。彼女がそう話す目はまっすぐとしていて、責任感溢れる強い言葉に感じた。しかし、衛生・栄養面、教育の機会、など無邪気に笑う子供達の前には幾つもの大きな壁があると、実際にお話を聞いて分かったのだった。
 
実際に足を運ばなければ、私は子供達の置かれている現状を知り、ただ子供達をかわいそうだと思っただけかもしれない。しかし子供達の、新しい遊びに目を輝かせながらわくわくしている表情や、言葉も通じないどこか遠くから来た私たちとの遊びの時間を楽しみにしてくれていた姿を見て、私は無邪気に笑う子供達のことをもっと知りたい、もっと距離を縮めたい、私にできることは何だろうと考えることとなった。決して上からの立場ではなく、子供達と向き合い知ることで、自分にできることは何かを考えるきっかけとなった。

【第1稿】

 私は夏のタイ研修で北部に位置するチェンライの孤児院を訪問した。初めに、私たちの受け入れ担当者であるタイ人の男性と5日間のスケジュールについて話し合うことになった。私たちは、活動する5日間のスケジュールが書かれた用紙を確認した。その用紙には、午前中は授業のサポート、午後は子供たちとのフリータイム、そして5日間の活動の記念として壁に絵を描く作業をするということのみ記載されていた。この情報はその時初めて目にしたものだった。
 
彼の要望は、授業のサポートではなく、私たちに英語の授業をしてほしいという事だった。また、子供たちの異文化理解の機会として、日本語などの外国語を使う授業の提案をしてきた。更には、最終日に約200人の子供たちに日本文化を伝える授業をしてほしいという要望も出てきた。
 
次々と出てくる要望と提案に私たち5人は戸惑ったが、彼は、微笑みながら「すべてあなたたち次第ですから、好きなように取り組んでください」と言うだけだった。急な要望の多さと、時間を自由に使って活動して良いという矛盾さに苛立ちを覚えた。聞き取り調査を行いたいという私たちの要望は「わかりました」の一言で済まされてしまった。
 
翌日、途上国の支援経験が豊富な引率の先生が施設に来て下さり、前日のモヤモヤした気持ちを伝えた。先生は、「現場に出るとよくあることよ。どんな状況でも自分たちで考えて計画を立てたり、分からない事は何度も確認したり、主体的に動かなければ何も変わらない。ここはまだまだ初級編よ」と笑顔を見せながら明るい声で伝えた。
 
そんな先生からのこの言葉を聞き、自分たちの状況をマイナスの面でしか捉えられていない自分に気づく。自分の情けなさと、明るくアドバイスをする先生の経験値の高さを痛感し、「まだまだこれからよ」と励まされたような気持ちになった。様々な気持ちが一度にこみ上げ、先生が母親のように見え、目には涙がうっすらとたまった。

【第1稿への講評】

あなたの文章では、タイの孤児院を訪問し、受け入れ担当者とのやりとりは書かれていますが、あなたたちが孤児院で何をしたかは、この文章では全く分かりません。
 
担当者との説明も、引率の先生とのやりとりも、すべて、打ち合わせの話ですし、内輪の話です。タイ研修の話を書くなら、あなたがタイで経験したことを「場面」として伝えましょう。
 
引率の先生が、経験値が高いことなどは、当たり前の話なので、そのようなやりとりは必要ありません。
 
根本的な修正が必要です。

【指導の要点】

 海外での研修で孤児院を訪問した経験を扱っている。第1稿には、研修について説明しているが、筆者が孤児院でどのような体験をしたかは何も書かれていない。筆者にとっては記憶に残った体験だったはずなのに、体験の中身は書かず、体験の意味合いだけを説明するという文章の典型である。修正では筆者と子どもたちの関わりを筆者の体験として具体的に再現するように指導し、第11稿までの修正を重ねた。
 
最終稿の中心的な体験となっている「アルプス一万尺」の手遊びを子どもたちと一緒にしたという話が初めて出てきたのは第4稿である。それが体験の核となった。手の動きなどを再現しながら、手遊びを通じて子供たちと打ち解けていく様子を文章で再現することは簡単ではないが、修正によってその体験が読者もイメージできるような文章となった。
 
筆者と子供たちと関わりが文章で伝わったことで、筆者が書いている子供たちの厳しい生活環境についての記述も、単に問題点を指摘したというだけでなく、子どもたちが生きている場の状況としてリアリテイィを持って伝わってくる。自身の体験を描くことで、その体験の場にある問題点が浮き上がるという例であり、逆に言えば、現実の問題点を訴えようと思えば、その問題に関わる人間体験として再現する手法が有効であることを示している。

発信力を高める文章講座
1.体験の「場面」を再現するということ(川上泰徳)
2.学生の作品
 2-1.バリ島の孤児院でユニタとの出会い
 2-2.タイの子供達との「アルプス一万尺」
 2-3.雪山で出会った人々の温かさに気づかされたこと
 2-4.サービスという仕事
 2-5.15分が教えてくれた、”当たり前” の難しさ
 2-6.ふでばこが教えてくれたこと
 2-7.兄妹の心の壁を壊した結婚式
 2-8.ニューヨークでの苦い思い出
 2-9.学童キャンプで子どもたちから学んだこと
 2-10.よさこいで破った殻
 2-11.主役を演じて芽生えた沖縄県民としての自覚
 2-12.挑戦し続けることで人間の可能性は変えられる
 2-13.私と人を繋ぐ就職活動
3.取り組みの狙い(佐藤都喜子学科長)
 
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