スーパーアドバンストPBLプログラム『PBL Literacy』
常に挑戦する「オンサイト」型の国際教養教育
ジャーナリストとのコラボレーションによる「リテラシー」能力の開発

発信力を高める文章講座

2.学生の作品


現代国際学部 国際教養学科 飯田莉晃

私と人を繋ぐ就職活動 【第11稿】

「地域に対する社会貢献に魅力を感じたため御社を志望しました」4月半ば、静岡県西部の自動車部品メーカーの殺風景な会議室で初めての面接が行われた。「飯田さんの志望理由をまず聞かせてくれる?」という40代後半くらいの男性面接官からの質問に、私は面接官2人の目をゆっくりと交互に見ながら冷静さを保った口調で述べた。眼鏡の奥から鋭い目を向ける面接官は、紙に情報を書こうとペンを持ち、口角の上がらない真剣な表情で私を見つめる。

私が面接を受けたこの自動車部品メーカーは、二輪自動車クラッチ製造で世界シェアナンバーワンを誇る会社だ。魅力を感じたこの会社の社会貢献は、例えば、支社のあるタイでは植林活動をすると同時に、植林場所に象のための栄養豊富な土を混ぜ、餌場を作っていることだ。そうすることで森林資源枯渇によって農作物を求め村に出てくる象が減る。さらに国内では、製造技術を活かして、地域の小学生のために夏の自由研究を手伝っている。私にとってこれは他社では見られない取り組みだった。そのような斬新さが溢れる点で、私はこの会社に魅力を感じていた。

面接をしている間の私の手はこれまでにないほどの湿り具合。面接官は、「飯田さんが学生生活で力を入れたことはなに?」「これまでに挫折した経験は?」「留学は何をしたの?」など事前に提出したエントリーシートに基づいて10項目以上の質問をしてくる。「学外活動です」「大学受験時に初めて挫折を経験しました」「先住民族について学びました」という私の答えに時折頷き、スラスラとペンを進める。時計もないこの部屋で時間がどれだけ進んだかなんて考える余裕は皆無だった。

会社を出た後私は帰りのバスを停留所で待ちながら、面接を思い返さずにはいられなかった。思い返すほど初めての面接で何が正しかったのか分からず、無駄なことを言ってしまったことや正しい敬語が使えていたのかというようなネガティブな反省ばかりが頭を埋め尽くした。バス停のベンチで1人、気持ちと共にワックスで固められた頭どんどん下がる。「はあ」大きなため息は目の前の道路を走るたくさんの車の音に掻き消された。しかし数日後、自動車部品メーカーから一通のメールが届いていた。画面には「選考の結果、1次選考通過とさせていただきます」の文字。同じメールを何度も何度も読み返す。時計針の音が響く静かな自室で一人、「なんで受かったんだろう」とスマートフォンの画面を呆然と見ながらつぶやくほかなかった。

それから1週間後の最終面接当日、前回とは全く雰囲気の違う部屋に私は通された。応接室だ。ふかふかした高級そうなソファに会社の男性幹部2人がにこやかな笑みを浮かべが座っている。60代くらいの彼らは、対象的な見た目だった。一人は日焼けをした肌と体格の良さが特徴的で、もう一人は穏やかそうな顔つきで白髪が目立つ。しかし、やはり幹部としての威厳のようなものが双方から感じられたのを覚えている。彼らの前に立ち、「名古屋外国語大学から参りました、飯田莉晃と申します。本日はよろしくお願い致します」と面接練習時のような挨拶をする。お辞儀をすると、父が夜な夜な磨いてくれた黒のピカピカのパンプスが目に入る。「どうぞ、もっとソファの真ん中座って」3人掛けのソファのどの位置に座ればいいか分からなかった私にそう言った彼らはペンも紙も用意しない。ただ前のめりになって耳を傾けるだけだ。微笑んではいるが、隙も与えられないその姿勢に自分の顔が前より硬くなるのが分かった。手汗もひどい。

「飯田さん、さっきコミュニケーションの重要性って言ってたね。じゃあ、コミュニケーションを取ることにおいて大事なことって何かな?」前回と違った質問のひとつだ。学生時代に頑張ったこと・そこから学んだことは何かという質問に「学外活動を頑張り、組織運営で躓きました。コミュニケーションを取りながら運営をしていくことが重要だと学びました」と答えた結果、その後その考えてない質問がきた。瞬時に頭をフル回転させる。「んー、そうですね、」少しの間をあけて「まず相手を見極めることですかね」と焦りを感じさせないよう淡々と答えた。相手がどんな人なのか最初に見極めないと上手く話が続かないと思ったからだ。2人は若干目を見開いて、頷いた。「じゃあ、僕らも見極められてるのかな」そう高らかに笑う2人。変なこと言っちゃったかなと私は苦笑いしかできなかったが、そのままこの日の面接は終わりを迎えた。

その日、すっかり空が暗くなった後、家に帰えると私の携帯に一件の電話が入った。今年配属されたばかりの若い男性採用担当者からだ。「今日の面接の結果なんですが、」形式ばった口調でそう言われた瞬間私の手が小刻みに震え始めた。「飯田さんには是非入社していただきたいと考えております。あなたのコミュニケーション能力は、素晴らしいと役員は言っていましたよ」と先ほどの堅苦しい口調から一変して明るくそう伝えられた。手の震えは次第に声の震えにもなっていく。それが悟られないために、電話越しに伝わらないよう無音の深呼吸をする。自分が他人から認められるのはこんなにも高揚感が溢れるものなのか。しかし就活の経験が浅く、他社との社風の比較もできていない今の私には「本当にありがとうございます。でもまだ受けたい会社があります。もう少し就活を続けさせてください」と伝えることしかできなかった。

その後半月以上他社5社を受けるも、1社を残し、そのほかは全て落ちていた。ほぼ毎日スーツを着るのが当たり前になって、週に1回は不合格通知を見ていた私にある日1本の電話がかかってきた。「就活状況はどうですか?」という内定をいただいた自動車部品メーカーの採用担当者からの電話だ。へこたれているのを悟られまいと、「全然ダメです!」そう無理に口角を上げ、笑いながら答えた。採用担当者は、「最後まで飯田さんの就活を応援するので、後悔しないよう頑張ってくださいね」という励ましをくださった。落ち続ける現実から逃げてしまおうかと思ってしまうほど暖かい声だった。

電話をもらったこの時、私は第一志望であった地元の大手輸送機器メーカーの総合職は落ち、事務職は二次選考に進めるという状況に置かれていた。その会社は、知名度があり、世界各国を相手に仕事ができる会社だ。先進国の生活を豊かにするだけでなく、浄水器のような貧困地域をも救えるような商材を出しているその会社に入って仕事がしたかった。入社したいという強い意思はあったが、総合職でフィールドに出て、世界各国で市場調査や営業など様々な経験をしたいという思いが第一にあったため、デスクワークの事務職に抵抗を感じていた。

しかし、その会社は大手だ。「好きな道を行きなさい」そう言う親も大学のサポートしてくれる職員の方々も、直接言いはしなかったが、将来安定したその会社に受かってほしいことは私にも分かっていた。周囲の期待に応え、第一志望の将来安定した大手会社を事務職のまま受け続けるべきか、最初に内定をいただき、総合職や事務職の区分がなく営業や広報などフィールドに出て様々な経験が積める自動車部品メーカーに決めてしまうのが良いか。その2つの選択肢が頭を埋め尽くし、気づけば寝られず朝を迎えていたり、授業中もそのことを考え、ぼーっと過ごしてしまったりする日々が続いた。

そんな人生の大きな岐路に立ち、進むべき道に困惑している時だった。「莉晃の中で、もう答えは出ていると思うよ」授業が終わり、「どうしよう。どの選択をすれば一番良いんだろう…」と言う私の話に答えてくれた声。そう言ってくれたのは共に就職活動を行い、気持ちを理解してくれる大学の友人たち。私はその一言にハッとした。思えば確かに答えは決まっていた。私はずっと大きな選択の後押しをして欲しかったのだ。「そうだよね。ありがとう!」数日間続いていた心のしこりが取れ、晴れた声で感謝を伝えた。

友人の一言で私は、大手輸送機器メーカーの事務職の選考を辞退し、最初に内定をいただいた自動車部品メーカーに電話をし、内定を受諾することを伝えた。「先日いただいた内定に関してお電話をさせて頂きました。是非御社に入社したく思います」散々返事を待っていただいた後の電話に罪悪感と多少の緊張感を隠しきれないままそう伝えた。しかし採用担当者は選んでくれたことに対して「本当ですか!ありがとうございます。飯田さんに入社していただけること大変嬉しく思います!」と言ってくださった。事務職の選考を捨て、様々な経験を積めるこの会社に決めたことに一切の後悔は残らなかった。

なぜこんなにも悩む必要があるのか、なんで上手くいかないんだと何度も思った。内定をもらっても私の心は数ヶ月、落ち着くことができなかった。しかし、就職活動に対して悔しさや喜びなどの感情の起伏が激しかったとき、私を支えてくれていたのは、私の周りの人たちであった。就職活動中は、ネガティブな気持ちで、自分ひとりで企業と向き合っている気分であったが、気付いてみれば、私は友人・親・採用担当者・大学の教授など様々な人に助けられてきた。この就職活動を通して、将来について真剣に向き合う機会を得ただけでなく、人との対話の重要性や私の囲う人々の存在のありがたみを学んだ。

【第1稿】

2018年2月、私の就職活動は始まった。そこから約3ヶ月、私は喜怒哀楽を繰り返す生活を送ることとなる。

就職活動解禁日となる3月まで、「自分ってどんな性格なんだろう」と自分自身に問い続けた。12月から続けてきた自己分析のおかげで、自分は責任感を強く持つ性格だと気付いたが、問題はそこから先だ。自分の性格や個性が分かったところで、それらがどんな業界で活かせるのか全く分からない。その問題を解決するため、私は2月から業界理解セミナーやインターンシップに参加した。それらに参加した結果、私は、地元である静岡に留まり、メーカーを中心に就職活動をすることに決めた。

3月からは、スケジュール管理をきっちり行い、計画的な毎日を過ごした。電車での通学時間往復6時間も、説明会での質問を考えたり、企業研究をしたりと無駄にはできない。3月後半からは、エントリーシートの嵐。当時の口癖は「もう無理!分からん!」。努力も報われず、半分の会社はエントリーシートの時点で落とされてしまった。まるで失恋だ。

面接が始まる4月になると、さすがに精神的に辛くなった。お祈りメールを見るたびに心がくたびれ、受かれば喜びと同時に次の審査への不安も生まれる。複雑な気持ちを抱える私の心の支えは、同じ悩みを抱える国際教養学科の友人たちであった。彼女たちは、私の考えていることを「うんうん」と頷き、一切否定することなく受け入れてくれる。私も学校で彼女たちの話を聞くことで仕事に関して多様な考えを持つようになった。彼女たちのおかげで、悩みで眉間に皺の寄る私の顔が、笑い顔に変わる。中でも最も彼女たちに感謝すべき出来事は、就職先を最終的に決定する時であった。人生の大きな岐路に立ち、進むべき道に困惑している中、「莉晃の中で、もう答えは出ていると思うよ」という友人の一声の後押しで決めることができた。思えば確かに答えは決まっていた。私は後押しが必要だったのだ。

【第1稿への講評】

就活の体験を書いたこの文章で、一番重要なのは、<「莉晃の中で、もう答えは出ていると思うよ」という友人の一声の後押しで決めることができた。>というところですね。しかし、この文章を読んでも、読者にはあなたがどのような会社に、どのようなプロセスで就職を決めたのか、全く分かりません。具体性のない話になっています。
 どのような手順を経たのか、どのような面接があったのか、そのうえで、あなたは何か迷っていて、その上で、友人の一言で、肩を押してもらって決めたということですね。あなたが就職を決めた会社への就活のプロセスが体験として分かるように、再現しなさい。

【指導の要点】

1稿は就職先を決める話でありながら、就活の体験が記述されていない文章だった。就活のプロセスを筆者の体験として再現することを求め、最終稿に至る修正が行われた。最終稿は長くて冗漫な記述も多いが、まずは就活で体験したことをしっかりと再現することを優先させた。面接の様子が質問と答えで再現され、面接官の表情や口ぶりまで分かる。

学生たちは字数制限の中で完結にまとまった文章が良い文章だと教えられており、文章を書かせるとすぐに生半可にまとめようとする。ほとんどの学生にとって、文章の長さを気にせずに、自分の体験を書くようなことは初めての経験である。その過程で、学生は文章が持っている力を実感することになる。文章の力とは、自分の体験を他者に伝える力のことであり、学生は自分の中にもそのような文章力があることを自覚する。

個人の体験を文章に記述して他者に伝え、体験を共有することは、人間のコミュニケーションの重要な要素である。大学生にとって就活が大きな関心事である。就活を終えた学生が、自分の就活体験を振りかえって、面接での細かなやりとりまで丁寧に再現した文章は、他の学生にとっても有益であろう。学生たちが自分の体験を文章にすることに意味があると考えるようになることが、この文章講座の第1の目的である。

発信力を高める文章講座
1.体験の「場面」を再現するということ(川上泰徳)
2.学生の作品
 2-1.バリ島の孤児院でユニタとの出会い
 2-2.タイの子供達との「アルプス一万尺」
 2-3.雪山で出会った人々の温かさに気づかされたこと
 2-4.サービスという仕事
 2-5.15分が教えてくれた、”当たり前” の難しさ
 2-6.ふでばこが教えてくれたこと
 2-7.兄妹の心の壁を壊した結婚式
 2-8.ニューヨークでの苦い思い出
 2-9.学童キャンプで子どもたちから学んだこと
 2-10.よさこいで破った殻
 2-11.主役を演じて芽生えた沖縄県民としての自覚
 2-12.挑戦し続けることで人間の可能性は変えられる
 2-13.私と人を繋ぐ就職活動
3.取り組みの狙い(佐藤都喜子学科長)
 
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