スーパーアドバンストPBLプログラム『PBL Literacy』
常に挑戦する「オンサイト」型の国際教養教育
ジャーナリストとのコラボレーションによる「リテラシー」能力の開発

発信力を高める文章講座

2.学生の作品


現代国際学部 国際教養学科 山本博之

挑戦し続けることで人間の可能性は変えられる 【第8稿】

7年前の中学2年の8月下旬、名古屋のビルの1室で開催された英会話教室ECCのスピーチコンテストに出場した。司会をしていた女性が「ナンバー38、ヒロユキ、ヤマモト、JEレベル(38番、山本博之、JEレベル)」と私の名前を呼んだ。会場の中央には50㎝ほど高くなったステージがあった。私は深呼吸し、車いすの両輪を片手ずつ掴んだ。

私は後ろから3列目の場所にいた。右側の通路へ出るために、車いすの右側の車輪を後ろへ引き、左側の車輪を前へ押してターンした。通路に出たところで、左へターンして、真っ直ぐ前に進み始める。車いすの前輪がステージ中央の前にある段差で止まり、足を床につけた。車いすのフレームを両手でつかんで全体重を持ち上げて、車いすから降りて地面に座った。スタッフ2人がステージ横から駆け寄り、車いすの両端を持って蟹股で片足ずつ次の段に歩を進め3段の段差を上がった。

私はそれを見終えると、四つん這いになり、右手、左足、左手、右足の順に交互に次の段に置き、3つの段差を上った。両手を2度たたき合わせ埃を落とし、車いすに手をかけ両腕で下に力を加え自分の身体を持ち上げて座った。マイクの前まで聴衆に背を向けながら車いすを漕ぎ、左手で左側の車輪を引いて1回転し、聴衆の方を向いた。車いすの両輪の前にあるブレーキを引き動かないように固定した。

小学生の頃は何をするにも他人の力が必要だった。小学4年生の雨の日に学校から帰宅した後のことだ。自宅の玄関先で「お母さん、今日遊びに行ってもいい?」と聞くと、母は「ひろは自分で遊びにいけないし、けがをしやすいから今日はやめときなさい」と答えた。母に遊びに行きたいと言っただけなのに自分の能力を否定された気がした。自分に自信の持てない日々であったが、友達と話すことは他人と対等だった。「昨日なんのゲームした?」「昨日テレビ見た?」と学校の休み時間に教室や廊下を駆け回っていた。

ECCジュニア!」あるテレビ番組を観ていた時、このようなフレーズが最後のCMが流れた。ECCは就学前の子供から大人まで幅広い年齢を対象にした英語専門の学習塾で、ECCジュニアは就学前の子供から中学生までを対象としている。ECCというこれまで聞きなれない言葉が耳に残り、家にあったパソコンでECCのことを調べた。

「お父さん、ECCに通いたいんだけど・・・」とテーブルで家族と夕食を前に話を切り出した。「ECC?なにそれ?」父はECCも知らなければ、英語にも興味がなかった。「いろんな世界の人と話したいの」「自分にも何かできることが欲しい」「だから英語を習いたい」初めて自分のやりたいことを親に告げた。父は母を見て「わかった。考えておく」とだけ言ってきた。それから1週間近く経ち、学校から帰宅後「今週の土曜日の夕方、ECCの体験に行くから予定しておいてね」と母が言った。ついにECCに通えることになったのだ。

ECCに通い始めてから1年が経ち、小学5年生の夏休み前のことだった。「今年からの試みなんだけど、ECCのスピーチコンテストが開催されるの」「よかったら出てみない?」教室に足を運ぶと、私が戸を開けて教室に入ってくるのを見かけ、すぐに机の上にあったポスターを手で取り、玄関まですり足で近づいてきた。スピーチコンテストは尾張地区の各ECC教室から参加を希望した小学生から中学生までの100人が学習レベルごとに分かれ、自己紹介と指定された物語をスピーチし、英語力、暗唱力、表現力を競い、入賞者7人のうち上位3人が県大会に出場できる。「は、はい・・・やってみます・・・」と30秒くらい間があいて、ぼそっと答えた。

これまで人前で何かしたことはなく、他人と能力を比べられることで迷いがあった。それから1か月間練習し、本番を迎えた。すべての参加者の発表を終え、結果発表になった。「セカンドプレイスイズ・・・ヒロユキ、ヤマモト(第2位は山本博之)」その瞬間辺りがざわつき、「やったー!」後ろの観客席の方から声が聞こえた。私は握りしめていた拳をほどき、車いすの両輪を掴みステージへと向かった。私は初出場にして県大会に出場することができた。英会話と出会ったことで初めて自分も他の人と対等に渡り合える能力を得られ、自分に自信を持つことができた。

そして中学2年になったばかりの4月、新品の教科書をカバンに入れ、教室に向かった。「今年のスピーチコンテストはどうする?」授業を始める前に私に意見を求めるように問いかけてきた。「えーと・・・」すぐに答えることができなかった。初出場で入賞したことで、その後2年連続で尾張地区予選では入賞することが期待されていた。しかし、その後は1度も入賞できず、今回のスピーチコンテストでも良い結果を残せる自信がなかった。

「今年が最後になると思うよ、来年は高校受験の勉強で忙しいだろうからね」先生は返答に困っている私を見かね、私をじっと凝視しながら向き合った。「はい!今年は県大会でも優勝できるように頑張ります!!」このECC教室には高校生クラスはなく、今回のスピーチコンテストがECCに在学中最後のイベントであるため出場することにした。そして本番2ヶ月前とこれまでより早くから練習を始めた。毎週土曜日の午後に3時間、先生とマンツーマンでの練習。「違う、もう1回」、「そこはもっと感情を入れて」、「ちゃんと音源聴いて練習してきた?」と私が少しでも言葉に詰まったり、ミスをしたりすると先生がすぐさまスピーチを止め、何度も同じところを繰り返し練習させ、先生の指導にも熱が入っていた。

スピーチコンテストのステージに上がると、80㎝くらいの高さのマイクの先に聴衆が見えた。開場は200席ほどの椅子が並べられ、審査員、参加者、その家族や各教室の先生で埋め尽くされている。「ハローマイネームイズヒロユキヤマモト(こんにちは、私の名前は山本博之です)」と口を大きく開け空気を吸い込み吐きながら話始めた。

目線を聴衆の最後列に移し、右から左へと全体に目を配ると聴衆たちが頭を上下に揺らし頷いている。「ワンスアポンアタイム・・・(むかしむかしあるところに)」自己紹介を終え、深呼吸し物語に入った。物語はあるケチな男性がうなぎ屋の前で蒲焼の匂いでご飯を食べ、お金を払うか払わないか店長と言い合うという話だった。

うなぎ屋の主人は男にお金を払えと言う。男はお金を片手のひらに乗せ、もう片方の手で覆いかぶせ腕を上下に動かし、「クリンク、クランク(チャリン、チャリン)」とお金の音を聞かせる。ケチな男は匂いを嗅いだだけだから、お代は、お金の音を鳴らすだけでいいだろうというオチである。「サンキュー(ありがとうございました)」と物語を終え一言付け加え、お辞儀する。一瞬間があいて、聴衆が送る大きな拍手が会場を包んだ。

すべての参加者の発表が終わり結果発表をむかえ、続々と入賞者が呼ばれていた。「サードプレイスイズ・・・ヒロユキ、ヤマモト(第3位は山本博之)」ステージ上の司会の女性が私を見ながら手招きをしているのが見えた。車いすをパイプ椅子にぶつけながら列から飛び出し、温かい拍手が私の背中を押しながらステージへと向かった。そしてステージでもらった賞状と盾を見ると自然と涙がこぼれ、3という文字が滲んだ。

私は幼いころ母に「一人では何もできない」と言われたが、英会話と出会いスピーチコンテストに何度も挑戦し続けたことで、自分にも他の人以上にできる新しい可能性を発見できた。入賞したい気持ちや入賞しなくてはいけないプレッシャーを乗り越えることで自分に自信を持つことにもつながった。何かに挑戦することは人間の可能性を広げ、自信を与えてくれるのだ。

【第1稿】

7年前の夏、私は名古屋にあるビルの1室で開催された英会話教室ECCのスピーチコンテストに出場した。発表は名前のアルファベット順で行うため、自分は後半の方だった。自分の番が近づくにつれ身体が熱く、「ゲボッ」と何度も吐きそうになった。ついに進行役の女性が「ナンバー38、ヒロユキ、ヤマモト、JEレベル」と言った。このコンテストは尾張地区の各ECC教室から参加を希望した小学生から中学生までが学習レベルごとに分け、それに応じて自己紹介と指定された物語1つを英語で発表し、英語力、暗唱力、表現力を競うものであった。

自分の名前が呼ばれ、席から離れる前に「フウ」と一息つき、後ろから3列目の端からステージへと向かった。後方は空気が張り詰め、前方に行くにつれ視線が痛いほど強かった。

ステージに上ると両親、先生、いつも一緒に勉強している友達がじっと自分を睨みつけていた。その横では外国人の審査員が穏やかな顔でこちらを見ている。すぐにでもその場から逃げ出したかった。目を閉じて「自分を信じろ」と心の中で唱えて「フウ」と一息ついた。目を開け、口角を上げて「ハロー、マイネームイズヒロユキ・・・」と話し始める。会場の片隅の中央に小さなステージがあり、その前には椅子が50席ほど並べられ、参加者、その両親や各教室の先生でいっぱいになった会場は、熱気で包まれ外よりも暑苦しかった。

自己紹介を終え、物語へと移った。物語はあるケチな男性がうなぎの蒲焼屋さんの前で蒲焼の匂いでご飯を食べ、お店にお金を払うか払わないか言い争う話である。身振り手振りや顔、声の強弱や高低で感情を表現しながら物語を話し進めた。物語を話し終え、「センキュー」と一言付け加え、お辞儀をした。すると聴衆が自分だけを優しく見つめ送る拍手を胸いっぱいに受け取った。

すべての参加者の発表が終わり結果発表をむかえた。いくら満足のいく発表ができても表彰なんてされないだろうと思っていた。入賞は8人、上位3人が県大会に進むことができる。続々と入賞者が呼ばれていく中で自分の名前が呼ばれたが、状況を把握できずに戸惑った。すると進行役の女性が私を見ながら手招きをしていた。慌てて列から飛び出し、先ほどのような温かい拍手が私の背中を押しながらステージへと向かった。そしてステージでもらった賞状と盾を見ると自然と涙がこぼれ、賞状の3という文字が滲んだ。

【第1稿への講評】

この文章からは、あなたが3位入賞してうれしかったということしか分かりません。うれしかったというのはあなたの思いなので、それが分かっても、読者にとっては、他人事でしかないのです。それを読者に伝えようとすれば、入賞にいたる過程を、どんなことを苦労したのか、課題をクリアするためにどのようなことをしたのか、など体験の結果ではなく、中身や仮定が、再現できなければなりません。

さらに、体験の中心であるスピーチの場面です。いまの文章では<自己紹介を終え、物語へと移った。・・・>とすべて説明になっていて、あなたが具体的にスピーチしている様子が再現されていません。体験として再現するとすれば、この体験のヤマ場であるスピーチをする場面を再現しなければなりません。ただし、7年前のスピーチ体験を、再現するのは難しいのではないでしょうか?

中学生のころの体験でも、その場面をまざまざと覚えているような体験はあるでしょう。このスピーチの体験が、あなたにとって、単に入賞したというだけでなく、それによって何かを克服したとか、何か心に刻まれるようなものであれば、よいと思います。もし、そのような中身がないならば、もっと新しい、しっかりと体験の中身が記憶に残っている題材を選ぶ方がよいと思います。

【指導の要点】

自身の「記憶に残った体験」を文章で書くことは、単にどのような体験があったかを書くだけでなく、その体験にどのような意味があるのかが筆者に認識されていなければならない。第1稿は英語のスピーチコンテストで3位に入賞したというだけの話であり、その「体験の中身」とは何かを書くように求めた。

修正を重ねた結果、最終稿では、車いすの筆者は幼いころから母親から「一人では何もできない」と言われて育ったが、スピーチコンテストに参加することによって、自分で物事に挑戦し、達成する機会を得たという体験の意味づけが明確になり、それも理屈とではなく、自身の体験として再現されている見事な文章になった。

筆者が自身の体験の意味を意識するようになったのは第4稿であり、名前を呼ばれてステージに上がるのに、車いすから降りて四つん這いになって階段を上る場面が出てくる。その時の通信欄で、「過去の私は自信を持てていなかったが、英語と出会い、他の人と対等にできることを見つけ、さらにスピーチコンテストで入賞したことで自分に自信を持てるようになったとしたい」と書いた。

この第4稿について、私(川上)は「やっとあなたの生の体験がでてきました。これまでは文章を読んでも、あなたが何を克服したのか分かりませんでした。英語のスピーチコンテストで入賞するという結果だけを示されても、それで克服したということにはなりません。今回のようなあなたの体験の再現がされたことによって、あなたの体験は文章で伝わるようになり、あなたにとってスピーチコンテストがどのような意味を持つかは分かるのです」と講評した。

自身の体験を伝える文章を書くことは、単に体験を書けばいいということではなく、体験の元にある意味を筆者が発見すること、または明確に意識するというプロセスによって文章は伝わる力を持つということが分かる例である。

発信力を高める文章講座
1.体験の「場面」を再現するということ(川上泰徳)
2.学生の作品
 2-1.バリ島の孤児院でユニタとの出会い
 2-2.タイの子供達との「アルプス一万尺」
 2-3.雪山で出会った人々の温かさに気づかされたこと
 2-4.サービスという仕事
 2-5.15分が教えてくれた、”当たり前” の難しさ
 2-6.ふでばこが教えてくれたこと
 2-7.兄妹の心の壁を壊した結婚式
 2-8.ニューヨークでの苦い思い出
 2-9.学童キャンプで子どもたちから学んだこと
 2-10.よさこいで破った殻
 2-11.主役を演じて芽生えた沖縄県民としての自覚
 2-12.挑戦し続けることで人間の可能性は変えられる
 2-13.私と人を繋ぐ就職活動
3.取り組みの狙い(佐藤都喜子学科長)
 
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